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承徳市(しょうとく)

承德 / ChengDe / チョンダー

位置と地勢

承徳市は河北省の北部に位置し、河北省の直轄市のなかでは唯一全域が長城の外側に位置している。北は内蒙古自治区、東は遼寧省、南は北京市と天津市と連なり、西と東南は同じ河北省の張家口市・秦皇島市・唐山市とそれぞれ接している。首都北京からの距離は230キロ、河北省の省都・石家荘からは540キロの距離がある。

地勢的には冀北山地に位置しており、燕山山脈から内モンゴル高原への過渡地帯にあたる。中部・南部は燕山山脈に属する山地で、東北部は七老図山脈、西北部は内モンゴル高原に属している。

行政区画

承徳市街の双橋区及び双灤区・鷹手営子鉱区の3つの区、承徳県(承徳市街とは異なる)・隆化県・灤平県・興隆県・平泉県・寛城満州族自治県・豊寧満州族自治県・囲場満州族自治県の8つの県を管轄しており、総面積は3万9548平方キロ。

人口は355万人で、満州族・モンゴル(蒙古)族・回族・朝鮮族など25の少数民族が130万人を占めている。少数民族の中では満州族とモンゴル族の割合が比較的高い。

気候

暖温帯から寒温帯への過渡地帯に位置していて、大陸性半湿潤半乾燥モンスーン型気候に属している。年間平均気温は8.8度で、日中と夜の温度差が激しく、夏季でも涼しいのが特徴。年間降水量は560ミリで、雨は夏季に集中している。

歴史

商の時代には「土方」と呼ばれ、西周の時代には燕王の封地とされた。春秋戦国から前漢にわたっては漁陽郡と右平郡の管轄に置かれ、後漢から南北朝にかけては北方少数民族の烏桓や鮮卑の版図に含まれた。隋唐時代には漢民族と少数民族が雑居する地域となり、北方民族の建てた遼・金・元の時代には澤州(遼)・興州(金・元)と呼ばれた。明代には長城の外側の防衛拠点の一つとして、北平府・興州衛・諾音衛などと名称が変わった。

承徳が歴史上で重要な地位を得るようになったのは、1703年(清の康熙42年)に熱河行宮(避暑山荘)の造営が開始されてからで、この後承徳は清朝の夏の宮殿として陪都的な役割を持つようになる。康熙帝以降の雍正帝・乾隆帝・嘉慶帝なども1年の半分をこの地で過ごし、第二次アヘン戦争中の1860年には咸豊帝が北京からこの地に逃れている。嘉慶帝と咸豊帝が崩御したのも避暑山荘だ。

辛亥革命(1912年)に中華民国が成立すると、熱河特別区がおかれ、1928には熱河省が設置され、承徳はその省都となった。満州事変後の1933年には日本軍が全域を占領し、熱河省は満州国の版図に組み込まれることとなる。

1945年に日本が降伏すると、一時的に共産党の冀察熱遼解放区となるが、翌年には国民党軍が占領、最終的には1948年11月に人民解放軍によって解放された。新中国成立後の1955年までは旧来の熱河省が維持されたが、1955年12月に熱河省は廃止され、承徳は河北省に組み込まれることになった。その後、省直轄市及び省下の地区専署の間で帰属が度々変更されたが、1993年に省直轄地に戻り現在に至っている。

観光

承徳の名勝旧跡としては市街北部にある避暑山荘と外八廟が広く知られている。避暑山荘は清時代に作られた現存するものでは最大の皇家離宮、外八廟は避暑山荘の周囲に分布するチベット仏教を中心とした寺院郡で、1994年には世界遺産にも指定されている。また市街中心部の旧市街地には粛順府や城隍廟・文廟・武廟・武烈河清壩などの古建築も多く、市域全体では123の寺院が残されていて、古くから「廟城」の別名を持っている。

自然景観でも北部の木蘭囲場(狩猟場)、西部の京北第一草原と金山嶺長城、南部の京東第一峰・霧霊山、東部の遼河原風景区など見所が多く、最近では北京から狩猟やウインタースポーツに訪れる観光客も少なくない。

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