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太清宮(たいせいきゅう)

太清宫 / TaiQingGong / タイチンゴン

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太清宮は別名「下清宮」、或いは「下宮」と呼ばれ、崂山南側の老君峰のふもとにある。ひろびろと青い黄海に面しており、7つの峰が背後にしたがえ、峰は高くそびえ、青々とした竹林があり、夏はさわやかで、冬はさほど寒くなく、「北国の小江南」といったところだ。

崂山は古くから神の住む穴、仙人の棲家と言われ、言い伝えによると全盛期には9つの神殿と8つの寺と72の庵があったそうだ。現在では17箇所が残っているといわれている。「太清宮志」の記述によれば、太清宮は紀元前140年(西漢の武帝建元元年)に、江西瑞州府高楽県の張廉夫が建立したという。張廉夫は、字を静如、号を楽山といい、漢の文帝9年に生まれ、仕官していたが職を辞し出家した。玄学(老荘思想と儒家の経義が融合した思想)を詳しく学び、修行した後、崂山の海辺に臨む場所に草庵をつくり、神体を祀った。紀元前138年(建元三年)、廟を建て、三清神像を祀り、「太清宮」と名づけたのが、今日の太清宮の由来となっている。現在に至るまで二千年余りの歴史を有する。唐代の末に、李哲玄が崂山を訪れたときに、神殿を拡張し、三皇神像を祀った。これにより、太清宮は現在の規模になった。五代十国時代(907年-960年)に、道士劉若拙が崂山を訪れ、太清宮の大規模に修繕した。1195年(南宋の慶元元年)、邱処機が昆化山から崂山に移り、道教をひろめた。これにより、崂山の道教は、太清宮とともに、広く知られるようになった。たくさんの道教の士が訪れるようになり、ここで修行するも者もあれば、著述をする者もいた。張三豊、徐復陽なども皆ここで道教の修行をしたという。

明代の万暦十三年から二十八年にかけて、太清宮では僧による争いが起こった。僧憨山大師と道士耿義蘭が太清宮の廟をめぐって争い、金銮殿を訴え、十数年かかった末に道士の勝訴で決着した。現在の太清宮の前にある「海邱奪遺跡」の碑に、明の万暦十三年に僧憨山大師が神殿の前に海邱寺を建て、万暦二十八年に皇帝が神殿修復の勅諭を下したと刻まれており、この件のことを指している。

太清宮の面積は3万㎡、建築面積は2500㎡ある。廟は全部で3つあり、それぞれ三官殿、三清殿、三皇殿と呼ばれ、それぞれに山門がある。三官殿には「天官」「地官」「水官」の三つの神像が祀られており、三清殿には「道徳尊」「元始天尊」「灵宝天尊」が祀られている。また、三皇殿には「伏羲」「神農」「軒轅」の三帝が祀られている。

太清宮には高くそびえる古木がある。寺の外には「龍頭楡」別名「唐楡」と呼ばれる樹があり、唐の天佑年間に李哲玄が植えたものとされている。寺の銀杏と柏は樹齢が更に古いといわれている。明代に植えられた二本の常緑樹は、葉が生い茂り、毎年春になると、綿に似た花をつける。花期は三ヶ月以上におよぶ。清の有名な作家蒲松齢は、「聊斋志異」の中の「香玉」の章で、「香玉」「絳雪」の物語を書いている。それによれば、寺の中の紅牡丹はこの常緑樹の化身なのだという。三清殿の前には泉があり、寺の道士は神水泉と称している。水は甘く、枯れることなく、崂山第一の名泉と言われている。三皇殿の内壁には、嵌元世祖が護教のために書いた碑文と成吉思汗の割符文がある。神殿の裏には巨大な石がある。宮殿の東側の道にも大きな石があり、「波海参天」の四字が刻まれており、下には「始皇帝二十八年遊於此山(始皇帝が28年この山を訪れた)」という文字が小さく刻まれている。月のある夜、風があって海が凪ぎ、空が明るいときの崂山の風景は「太清水月」と称される。

太清宮は青島市の重要文化財で、道教の随山派の道士を奉っている。

 
 

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