慧済寺(けいさいじ)
慧济寺 / HuiJiSi / フイジースー
慧済寺は、普陀山、佛頂山の頂上にあり、普陀山の三大寺の一つ。古くから石亭、供石仏がある。明朝(1368~1644年)僧侶の圓慧が開山して間もない頃、慧済庵を建てた。清の乾隆五十八年(1793年)は、庵為寺、建圓通殿、玉皇殿、斎楼などを建てた。清の光緒三十三年(1907年)僧の徳化の《大蔵経》又、建設に力を入れていた為、普陀山の三大寺の普済寺、法雨寺、慧済寺を建立する事を成しえた。”文化大革命”の間におよそ700平方メートルの禅堂が取り壊され、殿等の建物も荒れていき、仏像も取り壊された。寺は、軍隊の進駐となった。1979年10月、軍隊は撤退した。1980年全面的に修復にかかった。1988年新しく観音殿が建てられ、1989年10月仏像の開眼の儀式が行なわれた。1991年観音殿に歴代の名画観音聖像123点が彫り刻まれた。1992年漢白玉の岩石で蓮池作られた。1993年6月大悲閣、10月には西廂楼が修復された。1994年12月発電所なども建てられた。1995年10月梅壇閣が新しく建てられ、斎堂も建て直され、奇抜な賓客楼の内装も修復もされた。1997年閲蔵楼5部屋改築された。1998年西院の壁に釈迦佛慶化事跡の浮き彫りが32点、彫琢山の門の竜宮の彫り物を監院戒忍が始めた。寺院は、全部森の中にひっそりと建てられ、静寂で、四方を望め、遠くの山や近くの暗礁がぐるっと取り囲んでいる。寺が勢いよく再建が進められ、殿閣楼堂や彫刻絵画の棟、奇抜な建物等が建てられた。周囲には古木が多く、植物学家が1930年後門の左側に”鵝耳櫪(クヌギ)”が一株あり、”普陀鵝耳櫪”と名付けられた。これは、世界でも貴重な木である。寺の裏の斜面には、浙江省の珍しい”生姜の木”がわずかに生息している。1983年慧済寺は、国務を行なう寺の中で重要な寺の一つになった。南に向かって行くと法雨寺に続く山道がある。途中、石刻が多く見られるが、霞がかってぼんやりしている。雲扶岩の上の”海天佛国”の四文字は有名である。これは、明代の抗倭の将軍が書いたものと伝わっている。

