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明教寺(めいきょうじ)

明教寺 / MingJiaoSi / ミンジャオスー

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合肥市逍遥公園の近くにあり、元の名を鉄佛台、曹操点将台という。寺が建造された頃は、南朝梁時代で、隋の末まで寺院は、荒れ果てていた。唐大歴年間(766~779年)廃墟の中、鉄佛が一体発掘された。廬州刺史裴絹上奏朝廷は、再建を許可した。その時、”明教院”と名付けられ、明代に、”明教寺”と改名された。後にしばしば、崩壊と再建を繰り返した。清咸豊三年(1853年)再び戦火に合い、光緒年間に再建された。1937年冬、寺院の建築中の部分に日本軍の爆撃を受けた。新中国成立後、政府が資金を出し、修繕させた。1983年、漢族地区で重要な寺院に定められた。明教寺の歴史は、悠久で建造物も雄大である。清代には、合肥市の寺院の中で最も素晴らしい寺院となった。現在は、山門、天王殿、大雄宝殿、地蔵殿、客堂、寮などを建築している。

教弩台は、高さ5メートル、面積は、4000平方メートルの正方形である。三国時代、合肥は、曹操の管轄の地だった。彼は、何度も合肥で、吴国の孫權と戦争をした。教弩台は、曹操の軍事の一つの堡塁であった。教弩台は、合肥の安全を守る為、市街から4キロ離れたところにあり、弓の訓練も重ねた。南は、淝まで5メートル、東は天津まで約100メートル、北は逍遥まで100メートル余りが、射程距離だった。当時常に500人程の弓兵がいた。彼らは、武芸の試合し、勝者には、奨励の印として赤色の長衣を贈られた。百発百中で柳を打ち、銅鑼や太鼓を鳴らし、曹操は、いつも大笑いをしていた。兵士達は、夏の日差しを浴びることが無かった。それは、台の付近には、松の木が多く、松風が吹き、教弩台も松の陰になっていた。その為、廬州八景の一つなっていた。普泰始より高い物は、聴松亭の他に、古い井戸がある。この井戸の口は、平屋の家の屋根と同じ位の高さで、屋上井と呼ばれ、水は、美味しく、四季を通して涸れなかった。井戸の石柵は、古く、23本もの水脈があり、その石の溝は、ピカピカしていて、玉のようだった。欄上には、”普泰始四年殿中司馬夏候勝造”と刻まれ兵士達の喉の渇きを潤すために造られた。現在は、23本の水脈の跡だけが残っている。欄干には、まだ”普泰始五年(269年)”と刻まれている。南朝梁武帝時代(503~548年)高さ一丈以上の鉄佛を造り、教弩台の上に佛寺を建て、鉄佛寺と呼んだ。唐大歴年間に改名され、明教寺となった。その後、戦争によって焼けてしまった。現在の寺は、太平天国遺老袁宏によって建てられた。袁は、天国革命失敗の後、出家した僧のために建てた。清同治年間に再建された。寺の中には、仏像が30体程あり、大雄宝殿、地蔵殿などが建設された。聴松亭に登ると、合肥の街が見渡せる。近年、全面修復され、合肥市の文物と観光の重要な場所となっている。

 
 

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