太子橋(たいしきょう)
太子桥 / TaiZiQiao / タイズーチャオ
長坡坂公園の西の端に当陽、遠安の道路の側にある。東漢建安13年(208年)、曹操が荊州を取り、劉備は当陽で敗北した。その妻の糜夫人が阿斗を抱いてこの橋の下に避難したことが言い伝えられ、“阿斗”と名付けられた。つまり劉備の子の劉禅、あざなは公嗣、三国次代の蜀漢の後継の君主。西暦223~263年の間在位した。凡庸で無能なしで、奮い立つ思いも無い、人は、“起きない阿斗を助ける”と言った。橋は何度も修繕し、今なお保存している。レンガで築き、回りを囲み、古風で精巧である。橋の下で渓水は、さらさらと川に注ぎ込んでいる。両岸の林木は、婉曲し流れ、西北に錦の屏山を作り、まるで絵のようで、互いにきらめいて、情緒が漂う。

