光孝寺(こうこうじ)
光孝寺 / GuangXiaoSi / グヮンシャオスー
広州の諺に、「未有羊城、先有光孝」(廣州城ができる前に光孝寺はあった)とあるとおり、広州最古にして最大の仏教名刹である。
広州市内の光孝路に位置する広州四大寺院(光孝、六榕、海幢、華林寺)の一つで、全国文物重点保護単位に指定されている。
元々は南越王趙陀(西暦200-265年)の玄孫、趙建徳の住居として創建された建物だが、三国時代には呉王を諌めたことで流刑された都督虞翻がここで生活し、講義を行った。彼の死後、家人が寺院に改築し、“制止寺”と命名した。明代東晋時代に曇摩耶舍が宣教のため広州を訪れたときに大雄宝殿が建造され、北宋時代には“報恩広孝寺”と呼ばれたが、南宋紹興21(西暦1151)年に“光孝寺”と改称され、現在に至る。
光孝寺は中国仏教史上重要な地位を占める寺院で、曇摩耶舍がこの寺で講釈を行って以降、多くの高僧が相次いで宣教に訪れた。南北朝時代にはインドの高僧、智薬三蔵が訪れ、祭壇に菩提樹を植えた。またインドの王子達磨和尚は釈迦仏の衣鉢を寄進し、やはりここで講釈を行った。西暦749年、唐の高僧鑑真は日本への5度目の渡航に失敗して海南島に漂着した後広州に辿り着き、一春を過ごした。儀鳳元年(西暦676年)には高僧慧能がこの寺の菩提樹の下で受戒し、南宗を開き禅宗六祖と称された。
| 大雄宝殿 | 瘞発塔 | 東西鉄塔 | 大悲幢 |

