鎮海楼(ちんかいろう)
镇海楼 / ZhenHaiLou / ジェンハイロウ
前漢の時代、南越王趙佗は越秀山(元の名は越王山)に朝漢台(別名・越王台)を作った。また明の永楽年代には都の指揮官だった花英によって観音閣が建てられたので、山も観音山と呼ばれるようになった。同じく明の洪武13年、広州を守護していた永嘉侯朱亮祖は宋代に築城された3つの城を併合し、広州城を北へ拡大した。盤福路を起点とする城壁は、越秀山を貫き鎮海楼(五層楼)を通って、現在の小北花園まで続き、その長さは1147mにもなる。
現在の越秀公園にある鎮海楼は明の13(1380)年、太祖皇帝朱元璋が広州城を拡張したときに城壁と合わせて修築した有名な古代建築である。永嘉侯朱亮祖が自身の功績を顕示するために、“威を以って山海を鎮める”の意味で“鎮海”と命名した。別名を望海楼、また五階建てなので通称五層楼と呼ばれる。楼は高さ28m、幅31m、奥行き16mで、頂上や各階の庇にはいずれも瑠璃瓦が敷かれている。1、2階の壁は赤砂岩造り、3階以上は煉瓦造りになっている。また楼内からは広州を一望することができる。各階の庇には名高い石湾陶器をで海亀をかたどった装飾が施され、外壁は赤壁と緑の瓦で造られている。楼の前には、嶺南美術の大作である赤砂岩の獅子像、明の嘉靖時代建立の《鎮海楼記》の碑と、1928年建立の《鎮海楼記修築》の碑が立っている。広州博物館となったのは、解放後のことである。

