沙面(さめん)
沙面 / ShaMian / シャーミェン
中国の中で最も西洋情緒の色濃い場所であろう沙面は、珠江白鵝潭北岸に浮かぶ楕円形の0.3k㎡ほどの小島で、西洋古典主義的な特色を持つ建造物が多いことから、近年になって国家レベルの文物重点保護単位に認定され、“広州第九景”と呼ばれる。ここからの珠江白鵝潭の眺めは実に素晴らしい。
元は珠江の堆積で作られた砂州で、かつては中流沙、拾翠洲などと呼ばれていた。宋から清代にかけて、広州対外通商の要地であり、観光名所でもあったが、アヘン戦争では重要な防御地となった。戦争終結後は英・仏両国の租界となり、現在の名称に改められた。1859~1862年の支流の開掘工事で北岸から乖離してしまい、現在は島東部の石橋で結ばれているのみである。東西には沙面北街、大街、南街の3本が、南北には沙面一~五の5本の主要道路が走る。また東橋、西橋、新西橋と623路が連絡している。島内には勝利賓館、沙面賓館、白鵝潭賓館、広州国際海員クラブ、ポーランド領事館などの迎賓施設や、テニスコート、海水浴場などの娯楽施設がある。
沙面は中国近代史上重要な立場を占める、国家レベルの重点文物保護単位であるが、それは島内に現存する租界時代の建造物によるところが大きい。1859年、海外諸国の租界地となって以降、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、日本、イタリア、オランダ、ポルトガルなどの領事館や銀行が相次いで建てられた。1945年抗日戦争勝利後、国民党政府に接収管理されたが、1959年周総理が視察に訪れた際、それらの西洋建築物を保護し、一般に開放して観光地化を推進する政策が執られた。

