陳氏書院(ちんししょいん)
陈氏书院 / ChenShiShuYuan / チェンシーシューユェン
「陳家祠」とも呼ばれる広東省の“陳”姓の氏族が祖先を奉るために建てた祠堂で、清朝の光緒16年(西暦1890年)に着工し、同20年に落成。黎巨林の設計で創建された。占有面積は1.5万㎡、主要建築面積6400㎡。間口柱閒5間と3つの(院落)から成り、9堂6院を有する。その卓越した装飾技術から嶺南民間建築の大成と讃えられ、広州の建築百選に選ばれている。
建物は南向きで、門前の大きな広場に前院、後院、東院、西院で構成される四合院が建つ。占有面積13200㎡、主要建築物は幅と奥行きがそれぞれ80mの正方形をしている。それぞれの建物は6つの中庭と8つの廊下で互いに結ばれ、中軸を中心に左右対称、両端に向けて低く傾斜する造りである。瑠璃製の棟瓦の外壁が周囲を取り囲んでいる。外部に封鎖的で内部が開放的な、伝統的な広東民間祠堂建築様式である。
また精密な装飾工芸が有名で、至る所に木彫、石彫、磚彫(煉瓦に彫刻したもの)、土偶、陶器で作った塑偶、鋳鉄工芸などの装飾が施こされている。
木彫の装飾が最も多く規模も大きく内容も豊富である。向拝正面梁の上には、歴史故事や民間伝説をモチーフにした木彫が施されている。特に注目すべきは『三国演義』の中の曹操が大宴会のために銅雀台を築かせる故事である。錦袍をめぐり激しい争いを繰り広げる徐晃と許褚、その様子を銅雀台の上から眺める曹操の一幕は、生き生きとした描写で見る者をうっとりとさせる。
落成後、陳姓の子弟たちの学校として使われてきた祠堂だが、光緒31年(1905年)に科挙制度が廃止された後に、陳氏実業学堂と改称された。その後、文範学校、広東体育専科学校及び聚賢中学などとして使われ、1950年に広州市行政幹部学校が設立された。1957年には広州市人民委員会によって広州市文物保護単位に指定され、また広州市文物管理委員会による全面的な修繕工事が行われた。1959年に広東民間工芸館が新たに創建された。1960年省人民政府によって広東省文物保護単位に、また1988年には国務院によって全国重点文物保護単位に認定された。文物部門の管理の下、この芸術建築遺産は国内外の観光客に披露されている。

