黄埔軍校旧址(こうほぐんこうきゅうし)
黄埔军校旧址 / HuangPuJunXiaoJiuZhi / フォワンプージュンシャオジウジー
広州市から東南20kmほどの黄埔長洲島に位置する。1924年5月の第一次国共合作で、孫中山は中国共産党とソ連の助力の下、この地に軍事幹部の育成のための黄埔軍事学校を建設した。
党代表制度と政治工作制度を取り入れ、校長に蒋介石、党代表に廖仲恺、政治部主任に周恩来、教授部副主任に葉剣英をそれぞれ就任させ、熊雄、惲代英、萧楚女、撮栄臻、張秋人など共産党党員が教官やその他各方面の仕事を担当した。歩兵、砲兵、工作兵、輜重兵、憲兵、政治などの学科があった。1927年に蒋介石が“四一二”政変を引き起こすまで、一期生から四期生まで合計4981名の卒業生を送り出した。学生を主軸に革命軍を結成し、広東統一をかけた戦役や北伐に参戦した。校門、孫中山の紀念碑や彼が暮らした部屋、倶楽部、プールなどの遺跡が今も残されている。1928年創建の孫中山紀念碑は校内の小高い山にあり、碑の上に鎮座する頭像は彼の日本の友人が寄贈したもので、台座には『総理訓詞』や『総理像賛』などの文字が刻まれている。彼の居室は二階建ての建物で、内部には軍事学校史料陳列室もある。学校の南の山に、東征烈士墓地がある。
抗日戦争で被爆し、1964年に復元された。現存する黄埔軍事学校旧跡は全国重点文物保護単位に認定され、広州市愛国教育の拠点となっている。

