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203高地(にひゃくさんこうち)

203高地 / ErLingSanGaoDi / アルリンサンガオディー

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旅順新市区の西3kmのところにある後石山は、海抜が203mであることから203高地と呼ばれている。

市区や港の要塞から近いこの地は、日露戦争中、西戦線の要塞高地として、日本とロシアが争奪戦を繰り広げた場所である。1904年8月19日から24日にかけ、日本軍は旅順のロシア軍要塞を地上攻撃したが失敗、1904年9月19日正午、二度目の総攻撃にでる。陸軍第三部隊乃木希典司令官の指揮の元、4日間の激戦を経ても、目標の203高地は攻め落とせなかった。乃木司令官は焦りのあまり病に倒れ、止む無く攻撃は停止された。この総攻撃で日本軍7500人、ロシア軍4450人の死傷者が出た。その後、10月30日から11月2日にかけ、日本軍は三度目の総攻撃にで、東戦線の要塞高地、望台山と東鶏冠山を攻めるが、これも失敗、1904年11月26日、乃木希典は四度目の総攻撃命令を下す。配下の3部隊に松樹山堡塁と東鶏冠山砲台を攻めさせ、なかなか落ちないと見ると、国内から第7部隊に援軍させ、4部隊10万人近い兵力を投入して、東戦線の要塞高地を攻め落とそうとしたが、勝利できなかった。そこで、戦術を変え、4部隊から3000人の精鋭を選んで6つの決死隊を組織し、松樹山西麓を攻撃した。彼らは右肩に白い布を纏っていたことから、白襷隊と呼ばれた。白襷隊は夜間月光を頼りに壕を越え、松樹山第4堡塁に突入したが、ロシア軍はサーチライトを使い機関銃で応戦、激戦は日付を越えて深夜2時まで続き、白襷隊は半分以上が死傷、突撃は成功しないまま、部隊は撤退した。

1904年11月27日、乃木は総本部参謀長に戦況を報告、参謀長は陣地を移し、西戦線要塞高地、203高地を攻めるよう命令を出した。11月28日から乃木は5万の兵力を指揮して203高地を攻撃、一旦は東側の老虎溝山を占領するもロシア軍に奪回される。最後には日本軍総参謀長も直接指揮に参加、9日間の死闘の末、終に1904年12月6日、203高地を攻め落とした。この250mに満たない、幅30m余りの山を攻め落とすために、兵力6万4千人、砲弾1万発余りが費やされ、死傷者は1万7千人に上った。

日露戦争の後、日本軍乃木希典は「203」を同音の「尔霊山」とし、記念碑を立てて詩を刻んだ。

 
 

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