鴻門宴遺跡(こうもんえんいせき)
鸿门宴遗址 / HongMenYanYiZhi / ホンメンイェンイージー
楚漢が覇権をあらそった故事から二千年、英雄的気概をもった項羽と隙をうかがう劉邦とが、知力を尽くして覇権を争った様は、いまだに消え去ることなく、目の前に浮かんでくる。
現在の臨潼県新豊鎮鴻門堡村、秦兵馬俑博物館から2.5kmのところにある。驪山の中で最も北にある観光スポット。南に驪山、北に渭河があり、潼関から長安へいたる際の要所だ。遺跡の前には長さ1kmにわたって峭原があり、その中央には、刀で切られたように南北に洞穴がある。それが城門のように見えるため、 鴻門という名がついた。秦末、項羽と劉邦が天下を争い、劉邦が先に関中に入って、秦軍を打ち破り、子嬰を捕虜とし、灞水に陣取った。強大な勢力をほこっていた項羽は後から関中に入り、鴻門に陣取った。
207年、項羽は策士範増の計略により、宴席で劉邦を殺害しようと、「鴻門の宴」を設けた。有名な「項荘剣を抜きて舞う、その意常に沛公に在るなり」がその場面だ。今ある遺跡は青レンガで築かれ、10mのポールにはオレンジ色の軍旗がはためき、北には強化プラスチックで作られた、パオに似たテントがある。入口には「楚高軍旗」が掲げられ、中には当時の宴席の状態が再現されている。項荘が剣を抜いて舞い、樊噲が乱入してきた様が塑像となって置かれていて、当時の一場面が生き生きと再現されている。
劉邦と項羽が天下を争った故事は、歴史的に大きな出来事だっただけでなく、後世の者の戒めとなる多くの故事や、美しい逸話を残した。項羽はまさに世に抜きん出た英雄だったが、鴻門で劉邦を逃がしたことで、天下を失った。多くの人が劉邦を小人だと言うが、劉邦は鴻門の宴から逃走し、後に天下を奪って英雄となった。今も、多くの者が、彼らへの尽きることのない感情を胸にここへやって来て、その歴史に思いをはせる。

