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法門寺(ほうもんじ)

法门寺 / FaMenSi / ファーメンスー

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西安から120km、宝鶏市扶風県の北約10kmの法門鎮にある。東漢末に創建され、釈迦牟尼佛の舎利を安置していることで有名。佛教書によると、二千年以上昔、釈迦牟尼佛入滅後、インドのアショカ王が仏法の発揚のために、舎利を八萬八千四百に分骨して各地に送り、その供養をするために塔を建てたという。中国には19ヶ所あり、法門寺は5ヶ所目で最大。法門寺は塔によって寺が建てられた。アショカ王寺と呼ばれていたが、隋の時に「成実道場」、唐初に「法門寺」と改称された。元、魏、隋初に寺院が開かれ、唐高宗顕慶年間に瑰琳宮24院が修築された。宝塔が高くそびえ立ち、太白山の峰と対峙している。宋代の改築は最大の規模だった。もとの塔は俗に「聖塚」と呼ばれた。唐貞観年間には4層の木塔に改修され、「宝塔」と称された。明代隆慶3年(1569年)、木塔は倒壊した。万暦7年(1579年)から万暦37年に13層八面体のレンガ造りの塔が建てられた。高さは7m。造りは精巧で、極めて壮麗。清順治11年(1654年)、地震で塔は傾き亀裂が入った。民国28年(1939年)、朱子橋将軍が資金を援助して補修した。1981年8月24日、長雨によって倒壊した。

史誌のよると、元魏2年(494年)、小塚宰拓育が最初の開塔の儀式を行い、隋仁寿2年(602年)、右内史李敏が2度目の開塔の儀式を行い、唐武徳2年(619年)秦王李世民が戦いの勝利のために80人の僧をつかわした。唐貞観5年(631年)、太宗は銀を支給して寺を修築し、敇岐州剌史張亮が3度目の開塔の儀式を行った。唐高宗顕慶5年(660年)、洛陽まで行って仏舎利を迎え盛大な法会を行ない、武后長安4年(704年)、新たに明堂を建てた。粛宗は内道場まで迎えに行った。憲宗は佛骨迎え入れの儀式を批難した韓愈を潮州へ左遷し、自ら安福門へ行き佛骨舎利を迎えた。懿宗咸通14年(873年)の迎え入れの儀式は極めて盛大だった。幡をもつ儀杖は万を越し、儀式に参加した宮女や尼は数知れず、歌舞音曲、経を唱える声が響き渡った。唐代の皇帝は篤く仏法を信じ、仏舎利を大切に扱った。皇后嬪妃は自らの黒髪や衣服、身の回りの品を贈った。唐中宗は皇后、夫人、皇女とともに寺を訪れ塔に入って供養をした。380年間に10度の儀式を執り行い、法門寺は皇室ゆかりの寺院というだけでなく、佛教の聖地と見なされている。

1984年、扶風県人民政府に開放が認められた。1985年には扶風県佛教協会、宝鶏市佛教協会が設立され、本部を法門寺においた。1986年末から1987年初、政府は宝塔の修築を決め、その基礎部撤去の際に、唐懿宗15年に封印された塔の地下宮殿が見つかり、4個の仏舎利や釈迦の指の骨、多くの貴重な文物が発掘された。その種類は豊富で、数も多く、質や保存状態が良く、珍しいものだった。

1988年11月9日、法門寺に多くの高僧が集い、初代会長趙朴のもと、国際的な「釈迦如来真身舎利法会」が開催された。1989年以降、宝鶏市佛教協会は市内の各寺院で、「文明寺院」活動を展開した。法門寺は文明寺院と評価された。創建時、法門寺は文明寺の条件にのっとって、宗教主管部門の指導のもと、方丈の澄観法師、監院の静一法師を中心に、活動を展開し、寺院の規範を回復し、寺の規模や活動を活発化し、外部との交流も盛んに行い、年間約30万人の来訪者を得た。精進料理館、仏像流通所を開いて、経済的にも独立した。また社会事業にも熱心に取り組み、人々のために貢献し、高く評価されている。

 
 

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