章懐太子墓(しょうかいたいしぼ)
章怀太子墓 / ZhangHuaiTaiZiMu / ジャンフォワイタイズームー
乾県梁山のふもとにある、乾陵の陪葬墓。章懐太子李賢は、高宗李治と武則天の第六子。初め雍王に封じられ、後に太子に立てられて、監国に奉じられた。李賢は学者を集めて『後漢書』の注をつけたが、これが武則天の専横を批難したととられ、調露2年(680年)に武器を隠匿し反逆を企てたとの罪をきせられて、庶民に落とされ、巴州に流された。文明元年(684年)、31歳の時、武則天に自害させられる。中宗が復位して乾陵に陪葬され、睿宗の景雲2年(711年)には章懐太子に追封された。
墓は1971年から1972年に発掘された。陵園の全長は180m、幅は143m。土をもったもので、底面は正方形、一辺43m、高さ18m。地下宮殿は全長71m、幅3.3m、深さ7m。壁画、彩絵陶俑、三彩器、陶磁器、石刻などの文物、600点以上が出土した。李賢墓の中には、50幅(組)以上の壁画があり、その面積は400㎡にも及ぶ。題材はきわめて豊富で、大半がほぼ完全な状態で保存されている。唐代皇族の様々な行動を題材として描いている。墓道東西の壁には、狩猟出行図、打馬球図、客使図、儀仗図、青龍図、白虎図などがある。墓室内に描かれているのは宮廷の歌伎舞楽、宮女逸情だ。客使図または礼賓図と呼ばれる絵は、唐朝の鴻臚寺の官吏が異国の賓客を迎える様子が描かれた物で、絵という手段で中国と外国との友好交流という大きなテーマをしめし、同時に大唐帝国官吏の礼儀正しくみやびな姿を描き出している。馬球図は唐代に盛んだった今のポロのような遊びを題材としたもので、激しく駆け回って球をたたく緊迫した場面が生き生きと描かれている。章懐太子李賢墓には数十幅の壁画がある。狩猟出行図、客使図、観鳥捕蝉図、打馬球図などの作品で、千年不朽の名作と称され、唐代壁画の高い芸術性を示している。

