茂陵(もりょう)
茂陵 / MaoLing / マオリン
西漢第5代皇帝(第7代との説もあり)武帝劉徹の陵墓。西安市から西北へ40kmの興平県東北の茂陵村にある。
ここは漢代の槐里茂郷にあたり、武帝建元2年(141年)に寿陵(生前墓)が造られ、紀元前87年に武帝が亡くなってここに埋葬された。漢武帝劉徹は、秦の始皇帝と並び称される、才略にたけた封建時代の皇帝だ。在位中、漢帝国は最盛期を迎える。農耕を奨励して生産力を上げ、富国強兵を行い匈奴討伐のために大掛かりな戦略をたて、政治面では中央集権体制を強め、同時に経済面では製塩、製鉄、運輸、貿易を官営で行い、治水を行なって農業を発展させ、対外貿易を展開した。軍事的には匈奴討伐を行い、西域への道、シルクロードを切り開き、河西回廊を確保し、南は海南まで、中華民族の生活域は広がり、漢帝国を統一、繁栄させ、世界の東方にその強大な姿をそびえたたせた。茂陵は巨大で、墓内の副葬品は極めて豪華で数も多い。『漢書』には「金銭財物、鳥獣魚鼈、牛馬虎豹生禽、あらゆるものすべてを埋蔵する」とある。
墓には武帝の金縷の玉衣、玉箱、玉杖などが入れられたという。当時の陵園内には祭祀を行なった便殿、寝殿、宮女や守陵者が居住した建物などもあり、5000人がこの陵園の管理を行い、木々への水やりや、清掃などをしていた。さらに茂陵の東南には茂陵県城が建てられ、多くの文武大臣や名門の富豪がここへ居を移し、人口は277000人以上にもなっていた。茂陵は土を枡形に盛ったもので、現存の陵の高さは46.5m、地下底部の一辺の長さは240m、陵園は方形で、一辺の長さは約420m。東西北の三面の土闕は今も残っている。陵の周囲には陪葬墓があり、李夫人、衛青、霍去病、霍光、金日禅などの墓がある。漢代の皇帝陵墓の中で最も規模が大きく、建造期間も最長で、副葬品も非常に豊富で、「中国のピラミッド」と呼ばれている。
茂陵から東北へおよそ1kmの所には茂陵博物館があり、多くの貴重な文物が所蔵されている。例えば純金、金、銅の馬、秦漢代の肖像画、文字瓦当などで、どれも非常に値打ちがある。
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