玉門関(ぎょくもんかん)
玉门关 / YuMenGuan / ユーメングヮン
敦煌の街から北西に90㎞ほど離れたゴビ灘の中にある古代の関所。その昔、西域のホータンから玉が入ってきたことからこう呼ばれる。
秦・漢以降、好戦的な匈奴に脅かされ続けた漢民族は、武帝の時にそれまでの和親政策をやめ匈奴を攻撃。紀元前121年には霍去病が匈奴に大打撃を与えた。その後、玉門関と陽関が設置され、それ以来この2ヶ所は河西回廊西部の重要な関所となり、ヨーロッパとの交流が始まった。中国からはシルクが輸出され、ヨーロッパからは音楽や宗教、果物などが入ってきた。西安とヨーロッパをつなぐ道は敦煌の西で2つに分かれており、北側の天山北路は玉門関を、南側の天山南路は陽関を通過する。このため2つの関所は、シルクロードを経て西へ向かう際の重要ポイントとなったのである。
玉門関遺跡の北側には長城が東西に連なっており、ほぼ5kmおきに烽火台が見える。また、玉門関の西側には陽関に続く南北の長城もある。現存する玉門関は、土をつき固めて造られた一辺25mほどの正方形の造りになっており、西と東に門がある。玉門関から15㎞のところには、関所を守る兵士達のための食糧倉庫であった河倉城跡もある。

