武侯祠(ぶこうし)
武侯祠 / WuHouCi / ウーホウツー
成都の南に位置する。面積は3.7㎡。西晋末に十六国の成(漢)李雄が三国時代の蜀の宰相であった諸葛亮をたたえ建てられたもの。1961年に全国重要文化保護財に指定された。
諸葛亮(181-234年)は、字を孔明といい、現在の山東省の沂南の出身で、中国史上でも卓越した政治家、軍事家であった。三国時代に蜀の宰相となり、すばらしい業績を残したが、亡き後も多くの人間に慕われ、各地に武候祠が建てられた。
建築時期は不明だが、杜甫の詩によれば、唐代以前に建てられ、劉備の墓と廟に隣接していたことがうかがえる。
明の元年には劉備廟に入れられたが、明末に戦火により破損したため清代康煕11(1672)年に再建された。このときに劉備と諸葛亮の大殿が分けられたとのことである。
今日の武候祠は、建築面積が37000㎡、南向きで、1本線上に並んでおり、順に大門、二門、劉備殿、過庁、諸葛亮殿の五重となっている。西には劉備の陵園と建築物があり、二門から劉備殿と東西廊、過庁から諸葛殿の西東の両棟で二組の四合建築構造となっている。両側には園林と付属建築物がある。
祠には、清の民間芸術家により制作された、高さ1.7~3mの蜀漢の歴史人物の像が41体安置されるほか、石碑や鼎、炉、鐘、太鼓などの文物がある。
大門から二門の間に置かれており、憲宗元和4(809)年に作られた、高さ367cm、幅95cmの唐の碑が最も珍しいものとされる。裴度が文章を書き、柳公綽が朱筆したもので、文章、書法ともに絶妙なことと、諸葛亮の功徳が絶えたということから明代には「三絶碑」と呼ばれている。劉備殿内は広々として、高さ3mの蜀漢皇帝劉備の坐像、東西の偏殿には関羽や張飛などの像がある。両廊下には、文臣武将の坐像が14体あり、東廊の文臣は龐統が、西廊の武将は趙雲がそれぞれ先頭に立っている。
| 劉備墓 | 三絶碑 |

