文殊院(もんじゅいん)
文殊院 / WenShuYuan / ウェンシューユェン
成都の北西に位置する仏教寺院。清の「四大叢林」の1つ。もとは唐の妙園塔院で、宋の時に「信相寺」と改称した。のち戦火により破壊された。夜になると赤く光るので探してみると文殊菩薩像があったため、康煕36(1697)年に資金を集めて廟を建て、文殊院と名づけたと伝えられる。康煕帝自筆の「空林」の字は「勅賜空林」の半分である。康煕帝の自筆の書は今でも院内に納められている。
文殊院は南向きに作られており、建設面積は11600㎡、部屋は全部で190室あまりある。天王殿、三大士殿、大雄殿、説法堂、蔵経楼など、どれも典型的な清代建築である。両側には禅、観、客、斎、戒、念仏堂、執務室があり、閉鎖された四合院を形作っている。向かい合う形の三檐式鐘鼓楼と鐘楼の間には4.5tあまりの銅鐘がかかっている。また、青銅製の観音大士像もある。護法神韋駄像は、清の道光9(1829)年、第7代方丈本園が青銅で製造した。「子供のような容貌で将軍のような威厳を持つ」像である。またビルマの玉仏「空林八観の一」は、性鱗和尚が民国11(1922)年、ビルマまで托鉢を行って手に入れたもの。院内にはほかに大小300あまりの仏像があり、石刻、銅製、鉄製、木彫り、粘土のどれをとっても芸術性の高いものばかりである。
そのほかにも珍しい文物や経典が所蔵されている。文献は1万冊以上、先宗など3人が毎朝舌を刺して取った血で書した「舌血経書」、明神宗の田妃が刺繍した千仏袈裟、清の楊遇春の長女が自らの頭髪で刺繍した水月観音などがある。唐の玄奘の頭頂骨が特に珍しいものとされる。1942年に南京で発見された、3つの頭頂骨のうち、1つは南京に置かれ、1つは西安に送られ、残りの1つは、成都が唐僧の受戒地であったため成都に送られた。

