宝頂山石窟(ほうていざんせっくつ)
宝顶山石窟 / BaoDingShanShiKu / バオディンシャンシークー
大足市街の北東15kmにある。名僧趙智鳳が石窟寺を建ててから70年の歳月をかけ完成した。宝頂山は仏教聖地の一つで”上には峨眉があり、下には宝頂がある”といわれる。
宝頂山石刻彫像は大佛湾を中心に東に小佛湾、倒塔、竜頭山、殊始山、黄桷坂、南には高観音、西には広大山、松林坂、佛祖岩、北には岩湾、竜潭、対面佛等があり、合計13個所の景観スポットがある。中でも大佛湾石刻彫像の規模は最大で、芸術的価値も高く、保存状態がよい。
大佛湾は馬の蹄の形をしている。長さは約500mで、高さ15から30mの岩壁の上に大小万を超える数の像が彫られている。そのほか宝頂山彫像の由来と佛教密宗の史実が記載された碑7通、宋太常少卿魏了翁などの前書き17題と舎利塔が2つある。大佛湾石刻彫像は山の地勢や崖の形をかりて彫刻されており、レリーフは大きく、題材も幅広い。佛教構想は珍しく、彫刻技術は熟達しており、世俗的色彩が強い。その内容の多くは佛教関係の物語だ。主な彫像に”護法神峰”、”六道輪回”、”広大宝楼閣”、”華厳三聖像”、千手観音”、”釈迦涅槃聖跡図”、”父母恩重経変像”、”地獄変像”、円覚道場”、”牧牛道場”などがある。
宝頂山は主に佛教密宗派彫像の道場だ。インドのガンジーと不空和尚が相次いで中国にやって来た際、善無畏とともに密教の布教活動を行った。三人は”布教三大士”と呼ばれ、前後して三代偉人とされる。;そしてその教えは恵果禅師に伝わった。恵果禅師は密宗第四偉人とされている。それから30年ほど過ぎると、柳本尊が現れる。その後250余年、発展と不遇はともにあった。その後趙智鳳は密宗の衣鉢を引き継ぎ、密教の偉人となった。873年4月8日、長安で”迎佛骨”の儀式が行われた。

