甲秀楼(こうしゅうろう)
甲秀楼 / JiaXiuLou / ジャーシウロウ
甲秀楼は貴陽市の南明河の中の、亀の岸と呼ばれる所に建つ。明の万暦26年(1598年)、南明河に堤防を造って両岸を結び、風水に基づいて楼閣を建てたのが始まりで、「甲秀」と名づけられた。これは「科甲挺秀(科挙試験の成績がずば抜けていること)」という言葉にちなんでいる。その後天慶元年(1621年)と清の康煕28年(1689年)の2度にわたり焼失したが、その度に再建された。甲秀楼はこれまで6度の大規模な修復工事を経ながら、400年の間その姿を保ち続けている。
この楼閣は三層の木造建築で、高さは20m余り、反り返った屋根を持ち、12本の石の柱と彫刻を施した白い石の欄干が軒を支えている。楼閣に登ると周囲の景色を一望できる。また浮玉橋と呼ばれる全長90m余りの石橋が、楼閣の下を通って河の両岸をつなぐ。石橋の上には涵碧亭と呼ばれる東屋があり、その柱には清代の貴陽府知事による「水は碧玉の環中より出で、人は青蓮の弁里にありて行く」という対句が刻まれている。橋のたもとの涵碧潭、水月台、橋の南側の翠微閣はそれぞれ呼応した位置関係となっている。
楼閣内には、古代の石刻や木製家具、著名な書家、画家の作品が多数収蔵、展示されている。

