東西寺塔(とうざいとうじ)
东西寺塔 / DongXiSiTa / ドンシースーター
東寺塔と西寺塔は、それぞれ昆明氏の書林街と東寺街にある。どちらも南詔国時代の節度使によって建てられ、東寺塔は高さ40.57m、西寺塔の高さは36m。十三層のレンガ造り。
今の東寺街の東西両側に、かつて2つの寺院があった。東側の寺は長楽寺、西側の寺は慧光寺と呼ばれ、もともと東寺塔は長楽寺内に、西寺塔は慧光寺内にあって、長楽塔、慧光塔とよばれていた。東寺塔は清の道光年間に地震によって倒壊。再建する際に、元の場所は地盤がゆるかったため、東に数百歩離れた現在の位置に建て直された。東寺塔は中のはしごを伝って上まで登ることができる。一番上の屋根の四つの角には、銅板で作られた1m余りの「金鶏」が据えられている。そのくちばしには銅管の笛をくわえており、昔は風が吹くと鳴き声を上げたという。しかし今では長年の砂埃が金鶏の口を塞ぎ、鳴くことはなくなった。
また、東寺塔にまつわる伝説に、「孔雀胆」がある。
元代末、紅巾軍が昆明へ攻め込んで来たとき、当時雲南を統治していた梁王は、大理の役人段功に助けを求めた。段功の活躍で紅巾軍を撃退した梁王は褒美として、才色兼備な娘を段功の妻として与えた。段功にはもともと高氏という妻が大理にいて、一旦は大理にかえったものの、梁王の娘を気に入り、昆明へ戻ろうとしていた。しかし、梁王の家臣は、段功の真意は他にある、と讒言し、梁王は段功を殺害しようとして、娘に「孔雀胆」を使った毒殺を命じた。娘は梁王の命令を拒み、段功に父の企みを打ち明けて大理へ帰るよう勧めたが、信じてもらえなかった。娘が段功を殺す気配が無いことを悟った梁王は、段功を長楽寺の仏事に招待し、殺害した。梁王の娘は悲しみに暮れ、一首の詩文を書いてまもなく、悲しみの余り死んでしまった。

