乾清殿(けんせいきゅう)
乾清宫 / QianQingGong / チェンチンゴン

乾清宮は明の永楽18年(1420年)に建てられ、清の嘉慶3年(1798年)に再建された。明の崇禎17年(1644年)、皇帝朱由検は李自成率いる武装蜂起軍によって攻められ、この場所から逃亡、その後自害した。
もともとここは皇帝の居住区及び執務室であったが、明朝14名の皇帝と清朝の順治帝、康熙帝はここを寝室とした。康煕61年(1722年)、乾隆50年(1785年)には老人を招いた宴会が催され、特に乾隆50年の大宴会の際には3000人を越える60歳以上の老人達が参加したという。
また、乾清宮は皇帝が逝去した折にその柩を安置し儀式を行う場所としても使われた。清朝末期には外国からの使節に接見する場所として、光緒32年(1906年)光緒帝はここでオーストリア及びフランス使節団からの信任状を受け取った。
殿内にある“正大光明”の額の四文字は雍正帝のもので、自分のあらゆる行いはすべて正当であり、細事にこだわらないという事を自画自賛した意味を持つ。その後、康煕帝以降は皇帝自らが指名した後継者を書き、この額の裏にしまい、皇帝亡き後にその額を開けて後継者を宣告した。

