玉瀾堂(ぎょくらんどう)
玉澜堂 / YuLanTang / ユーランタン

仁寿殿の裏側、昆明湖畔にある三合院式の建物。1750年(清の乾隆15年)に建てられ、第二次アヘン戦争での消失後、光緒帝により再建され、帝の寝宮として利用された。正殿の東配殿を霞芳室、西配殿を藕香榭という。
1898年に西太后を政治から排除し、明治維新を見習った政治改革を遂行しようとする戊戌政変が失敗に終わった後、すべての権力を奪われた光緒帝は、冬は中南海の瀛台、そして夏はこの場所に幽閉された。幽閉は10年間にも及び、史実では光緒帝は西太后の死の翌日に急死したとされる(但し状況から見て西太后により毒殺されたというのが一般的な見方)。建物は本来正殿裏の後門及び東配殿、西配殿の裏側からそれぞれ外に通じる通路が作られていたが、西太后はすべての通路を煉瓦で塞ぎ、光緒帝と外部との連絡を完全に遮断したという。この時の壁は今でもその一部を見ることが出来る。
大殿内に配置された玉座や御卓、調度品の多くは乾隆時代に作られたもので、正殿左右の「暖閣」と呼ばれるオンドルが設置された小部屋は、東側が朝食場所で西側は寝室として使われた。寝台などの家具や調度品は光緒帝当時のままである。

