劉備墓(りゅうびぼ)
刘备墓 / LiuBeiMu / リウベイムー

かつて恵陵と呼ばれていた。成都市の南、武候祠内の正殿(劉備殿)の西側に位置する。章武3(233)年4月、劉備が永安宮にて病死し(現在の四川奉節県城)、5月に棺が成都に返され、8月に恵陵に葬られた。諸葛亮の意思により、甘、呉両夫人もここに合葬された。円錐形の墓は、高さ12m、周囲は180m、面積20aの小さな丘のようである。墓の周囲には柏の森がうっそうとしており、四方を壁が囲んでいる。塀や柵型の門、神道、神殿などが、南北を結ぶ直線状に並んでいる。塀は全長10m、高さ5m。ひし形の石の彫刻には2頭の龍が珠をもてあそんでいる様子が描かれており、こうもりの彫刻と対照的である。柵型の門は幅12m、奥行き7mで、三間で構成されており、「漢昭烈陵」の額がかけられている。神道の両脇には大小さまざまの柏の木が植えられている。神殿は幅11m、奥行き8mで、0.4mの台の上に建てられている。左右の壁には後世の者が恵陵のために残したことばを記した石碑が3つ埋め込まれており、殿内には明代に鋳造された3つ脚の鉄鼎が設置されている。これは太鼓腹で、両手の取っ手があり、模様も複雑で、直径0.7m、高さ1.24mである。神殿の後ろには闕坊が建てられている(清康煕7年、1668年に建立)。この中には墓碑が埋め込まれ、弧を描く形の碑帽には2頭の龍が宝を掲げている図が彫刻されている。「漢昭烈皇帝の陵」という字は、清の乾隆が53(1788)年に再建したことを示す。背後には1000年前に立てられた劉備の墓がある。

